京都へ

京都へ行ってきました。

8ヶ月後半の31週目、妊娠後期・・・つまり遠出ができる時期ではないはずなのですが、あまりに体調が良かったことと、3月末まで学校で働いていた都合、真宗本廟(東本願寺)から、ここ1年ほど足が遠のいていたので、お参りに行きたいな~との思いもあり、行ってきました。

「頻繁に京都へ行けるなんていいねぇ」なんてよく言われますが、行くときはいつも本山でのお仕事の為なので、もう何年も東本願寺と京都駅の往復しかしていない気がします(笑)

しかし、仕事じゃない今回も、ほぼ京都駅と東本願寺の間で滞在。私ってここが好きなのね・・・と改めて思ってしまいました。

現在妊婦の皆さんに、決して遠出の旅行はお勧めできませんが、私は本山へのお参りをどうしてもはずせなかったのです。

・・・とは言っても、安産祈願に出掛けたわけではありません。この真宗本廟は、今の私を育ててくれた場所であり、たくさんの出遇いをくれた場所であり、私を「お帰り」と迎えてくれる場所であり、「しっかりしなさい」と励ましてくれる場所であり、私にとって阿弥陀さんのいらっしゃる『帰依処』だからです。

安産祈願ではない理由はというと、再三お話しているとおり、真宗は「○○祈願」の類のものは行いません。お守りもありません。私達真宗門徒には必要ないものなのです。

何故でしょうか??

自分にとって不都合な事が起こった時に、人のせいにしたり、何か別のもののせいにしたり、小僧☆はるかにもよくあることです。

でも・・・、責任を別のものに転嫁して、振り回される生活。空しさが残りますよね。

それは、本当に自分がいただいた人生を、充分に生きている生活とは言えないのではないでしょうか。

他に代わる者のないいのちをいただいて生きているのが私。そのことを大無量寿経では『身自當之、無有代者』―身、自らこれを当(う)くるに、有(たれ)も代わる者なし―と説かれています。

誰も代わることのできない自分であることが本当に判れば、自分や自分の周りに起こることを引き受けて生きていけるではないでしょうか。

さて、2ヶ月ほど経つと私は、新しいいのちのお陰で『親』にさせていただくことになります。私にはその身をしっかり引き受けて行けるのでしょうか?

**********

小僧☆はるか「私、大丈夫なのでしょうか?」

阿弥陀さん「しっかりその身を引き受けるのです!」

小僧☆はるか「心配です。たすけてください」

阿弥陀さん「・・・・・・・」

小僧☆はるか「が、がんばります。」

阿弥陀さん「いつでも帰る場所、拠り所があるではないですか。ここだけでなく、いつでも、どこでも、あるではないですか。そこからまた立ち上がればよいのです」

**********

そんな会話をしたような気がした、私の出発点・真宗本廟へのお参りでした。

Dscn0371_5

Dscn0350_6

左→お朝事後の阿弥陀堂の前で

右→渉成園(枳殻邸とも言う、東本願寺の飛び地境内です)入り口の枝垂桜が満開でした

| | コメント (2)

インド6大聖地巡拝の旅③-2『温泉精舎』

Photo_14 Photo_15 Photo_16

温泉が湧いているんです!

大衆浴場風に建物が作られていて、この次に行った竹林精舎とは歩いて1分の距離。

真宗新辞典で『精舎』をひくと「仏道に精進する人の居る場所」と出てきます。歩いて一分のお隣の『竹林精舎』はビンビサーラ王が教団に寄付した土地で、雨季にはお釈迦様もよくこの地にとどまられたとか。寄進された精舎(ビハーラ)に建物をつくり、休める場所、生活の場所として、発展していきます。つまりビハーラ・・・竹林精舎が寺院のハシリです。

詳しくはまた、次回の『竹林精舎』で書きますが、現地の言葉で、精舎=『ビハーラ』とは、本来ならば『休息の地』という意味。のお釈迦様やお釈迦様のお弟子さん方も、ここでこのお湯で身体を洗い、休息をとられたのでしょうか。( ̄▽ ̄)

入り口入ってすぐの青空シャワースペース!?には子ども連れの方々が湧いているお湯を使って子どもの身体や髪を洗ったり。

階段を上って中に入っていくと、浴槽のような場所もありました。右の写真の、トンネルのような階段を下がっていくと男性の浴槽スペースです。

この温泉精舎に続く道で発見したのが次のもの・・・。

Photo_17 Photo_18

何やら鮮やかな色の粉と、15センチくらいの長さに切られて並べられている木。

何だと思いますか???

色鮮やかな粉は、量り売りされていました。日常生活には欠かせないものだそうです。インドの人がつけている、おでこにつけるビンディーに使ったり、女性が頭皮につけけたりするそうなのですが、なぜ頭皮か・・・というと、

ヒンドゥー教徒の既婚の女性は、頭の髪の毛の分け目にひとすじの赤い色を塗ります。だから、結婚しているかしていないかは一目瞭然!

最近は、都会の地域ではつけない人もいるらしいのですが、注目して見ていると、かなりの方々がつけています。なんと、高校生くらいの子もつけています。ある程度の年になるまでは親元で暮らすそうですが、田舎にはまだまだ子どもの結婚の風習が残っていて(法律では禁止らしいです)、早々と結婚相手が決まっている子もいるようでした。

もう一枚の枝の山は、『歯磨きの木』

インド人の歯は、真っ白!虫歯も少ないそうです。甘いお菓子を食べる機会が少ないことも理由の一つですが、白い歯の秘訣はコレ☆

この木で歯磨きをするお陰で『インドの方は歯がキレイ☆』なのだそうです。

| | コメント (0)

インド6大聖地巡拝の旅③-1『ナーランダ大学跡』

Photo_1 3日目は渋滞にのまれながら昨晩辿り着いたラージギルを見学。

まずはナーランダ大学跡へ行きました。5世紀から12世紀に栄えた仏教教学センター、総合大学と言ってもいいのでしょうか。

この地は、経典にも出てくる、知恵第一と言われた舎利弗尊者、神通第一の目連尊者(→浄敬寺便りお正月号にも書いたお盆の由来となった人です)の縁の地です。

ちなみに、『神通第一の目連尊者』、お釈迦様のお弟子さん方の中で、神通力において最も秀でていた・・・ということ。神通には6つのジャンルがあり、たとえば「人の心のうちを瞬時に察知する能力」だったり、「世の中の心理を見抜く能力」だったり・・・。人智を超えた智恵ということで、超能力と言われたりもしますが、何となく、現代出回っている『超能力』と混同したくないので、『知恵を超えた知恵』という訳の方を、多くの解説書も、そして私も採用しています。

話を戻しまして・・・

この地は元々、修行僧の集まる場所でもありましたが、5世紀に仏教教学センターとしてこのナーランダー大学が造営されました。

後、造営もされ、最盛期は今の跡地の50倍の広さだったとか。今見えている跡地だけでも相当広かったのですけれど・・・( ̄▽ ̄;)壮大です!

何と、あの西遊記のモデル、三蔵法師もこの地で15年程学ばれているそうです。教典をここで学んで中国に持ち帰ったのですね。

しかし、よく絵や映像で表されているのは、経典を荷車に積んでたり担いでいたりする姿ですが、そうではなくて、実際の三蔵法師は経典を担いで帰ったのでも、引きずって帰ったのでもなく、頭にインプットして帰ったのだろう・・・と、思われます。

当時の勉強の仕方は、まず『身につける』だったのでしょうね。今でも『仏法は毛穴からしみ込む』なんて言われるくらいですので、その教えを身にしみ込ませるほどに聴聞し、生活の全てが仏法に基づいてなされていくほどになること。それがつまり仏法を学ぶということなのかもしれません。

ナーランダー大学は当時の学問の最先端でもあったので、仏教だけでなく、医学や薬学、語学、原始仏教のバラモン教などもここで学ばれていたようです。

Photo_13 三蔵法師の記録『大唐西域記』によると、学僧10000人、先生1500人と記されているそうで、学生の寮の部屋の跡、僧院の跡などなど、当時はどんな様子だったのだろうか??と想像がふくらみます。

12世紀に滅びたきっかけはイスラム教の広まり。仏像は破壊され経典は焼き尽くされてしまったそうで、その火6ヶ月も燃え続けるほどだったそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

インド6大聖地巡拝の旅②‐3『デリーからパトナへ』

Dsc02650_ 二日目(1/12)は、午前のデリー市内観光の後、お昼の便でデリーからビハール州のパトナへ空路にて移動。

現在ビハール州の州都であるパトナは、紀元前5世紀頃から栄えたと言われる古い都市で、旧名はパータリープトラ。当時はマガタ国が治めていて、古い記録によると「無数にあるインドの都市の中でも最大の都市」だったのだそうです。

しかし、現在はもっとも近代化に乗り遅れた州であるというのが現地ガイドさんのお話でした。政治家が120%悪い人で、公的な資金を使い込んだとか・・・。

確かに、州都パトナを出てビハール州を回ってみる中で、とにかく格差社会ヒンドゥー教のよからぬ教え、カースト制度を目の当たりにしました。

午後からはまずパトナ博物館を見学しました。

Dsc02660_ Dsc02666_

Dsc02668_ 博物館内は撮影禁止だったので、外観と外にあった古い門の後を・・・。

細かいレリーフのしてあるこの門もかなり古く思えますが、歴史の古いインドでは100年や200年ではまだまだ新しい部類。1000年以上経ったものでやっと古いものの仲間入りをさせてもらえるそうです。

つまり、博物館の中にはまだ入れてもらえないくらいの新しさ・・・ということになるのでしょうか??

この博物館に最も厳重に保管されているものは、お釈迦様が出家後最初に修行をされた場所、そして最後の雨安居(うあんご)をひらかれた場所である、バイシャーリーから出土した仏舎利です。

*安居(あんご)については、また後ほどくわしく書きたいと思いますが、雨季は草花や虫がいのちを芽吹かせる季節。「その時期に説法して歩いて踏みつけてはいけない」ということで、一箇所に集まってお釈迦様のお話を聞き、簡単に言ってしまうと勉強会をしました。それが安居です。

お釈迦様の仏舎利(ぶっしゃり・・・遺骨)は、荼毘(だび・・・火葬)にふせられた後、まず8つに分けられ、お釈迦様の縁の地へそれぞれ持ち帰られたそうです。それから、紀元前3世紀頃、仏教を守護したアショカ王によって掘り起こされ、お釈迦様の教えを大切に思う人たち、また拠り所にして生きていこうという人々のもとへ、いくつにも分けられました。その数8万4千とも言われています。

・・・というガイドさんのお話を聞いて、この数字に聞き覚えがあることに気付きました。『8万4千の法門』と言われるほど、一言で仏教と言ってもそれだけ様々な解釈があるのだ、ということは私もよく聞かされてきました。

この数字、単に多いことを意味した適当な数字ではなくて、インドのお伝えとちゃんと繋がっていたんだなーと思うと、私が聞いてきた仏教の話のモトがここに本当にあるんだなーという、当たり前ではあるのでしょうが、改めて実感が沸き、感動を覚えました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

インド6大聖地巡拝の旅②‐2『デリー市内観光』

Photo_9  Photo_8

②日目は午後の便でパトナへ飛ぶことになっていたので、午前中は市内観光を。

まずはインド門へ。これは、第一次世界大戦のメモリアル・・・慰霊塔として、1931年に建てられたそう。

当時イギリスの植民地だったインドからは、多くの人が兵士としてかり出され、約9万人の犠牲者を出したと言われています。玄武岩で作られていて、高さは約42メートル。1万人以上の犠牲者の名前が彫られています。

ちょうどパレードの練習中ということで、駱駝に乗った軍隊にも遭遇しました。

インドにはこれだけの軍隊があり、そう言えば核を保持している国でもあったんだ・・・ということを改めて感じた瞬間でもあります。長い植民地時代を強いられたことが、お釈迦様の生まれた国、『殺してはならぬ 殺さしめてはならぬ』という教えの生まれた国の歩みを変えてしまったのではないか・・・と考えさせられました。勿論一言では言い切れない、事情があることも分からなくはないのですが・・・。

Photo_10 続いて、非暴力を訴え続けたマハートマー・ガンディーの暗殺現場へ。

Dsc02634__1 『マハートマー』というのは、現地の言葉・サンスクリット語で『偉大なる魂』という意味で、本名は『モーハンダース・カラムチャド・ガーンディー』です。

ヒンドゥー教、ジャイナ教、レフ・トルストイという人の平和主義が元となっていたガンディーの哲学。

インドで200年にもなる長い植民地政策を敷いたイギリスからの独立運動を進め、その運動は民衆の暴動の形をとらず、徹底して『非暴力・不服従』を提唱したものでした。

暗殺現場となったのは、ニューデリーのビルラー邸。このお宅に宿泊していたところ、狂信的なイスラム原理主義者の銃弾に倒れたそうです

*写真はガンディーが最後に歩いた足取りと、銃弾に倒れた場所です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

インド6大聖地巡拝の旅①

Dsc02580__2

Photo_2

1月11日、成田空港から飛び立ってすぐ、雲海から聳え立つ富士山を見ることができました。

二枚目の写真は目を凝らして見ていただかないといけませんが、ヒマラヤ山脈です。遠くにうっすらと見ることができます。

日程中(7日目頃)、このヒマラヤの国ネパールへも入国してきました。

ネパールには、お釈迦様のお生まれになった場所(ルンビニーの花園)、そして王子であったお釈迦様が、出家されるまでの間住んでおられたお城、カピラ城跡(カピラヴァストゥ)があります。

因みに、現在発見されているカピラヴァストゥが、インド側とネパール側に二箇所あります。どちらが本当のお城跡か?と思いがちですが、別荘があったとも言われているので、春の住まい、秋の住まい・・・だったのかもしれません。

ルンビニーは、インドとネパールの国境から少しネパール側に少し入ったところ。国境付近の町です。

お母様の摩耶夫人(まやぶにん・・・マジャじゃないですよー)は、出産のため実家に帰省途中、ルンビニーの花園に休憩されました。その際に産気づきお釈迦様がお生まれになったそうです。

詳しくは、旅の流れを追いながら、写真をアップして書き込むことにします。

今回のインドへの旅は、仏跡巡拝の旅。仏跡・・・と言うと、実際にお釈迦様が居られた場所、住んでおられたところ、その跡のことを言います。仏跡だけに集中して廻る北インド。ヒマラヤに迎えてもらってスタートです!!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)