インド6大聖地巡拝の旅③-1『ナーランダ大学跡』
まずはナーランダ大学跡へ行きました。5世紀から12世紀に栄えた仏教教学センター、総合大学と言ってもいいのでしょうか。
この地は、経典にも出てくる、知恵第一と言われた舎利弗尊者、神通第一の目連尊者(→浄敬寺便りお正月号にも書いたお盆の由来となった人です)の縁の地です。
ちなみに、『神通第一の目連尊者』、お釈迦様のお弟子さん方の中で、神通力において最も秀でていた・・・ということ。神通には6つのジャンルがあり、たとえば「人の心のうちを瞬時に察知する能力」だったり、「世の中の心理を見抜く能力」だったり・・・。人智を超えた智恵ということで、超能力と言われたりもしますが、何となく、現代出回っている『超能力』と混同したくないので、『知恵を超えた知恵』という訳の方を、多くの解説書も、そして私も採用しています。
話を戻しまして・・・
この地は元々、修行僧の集まる場所でもありましたが、5世紀に仏教教学センターとしてこのナーランダー大学が造営されました。
後、造営もされ、最盛期は今の跡地の50倍の広さだったとか。今見えている跡地だけでも相当広かったのですけれど・・・( ̄▽ ̄;)壮大です!
何と、あの西遊記のモデル、三蔵法師もこの地で15年程学ばれているそうです。教典をここで学んで中国に持ち帰ったのですね。
しかし、よく絵や映像で表されているのは、経典を荷車に積んでたり担いでいたりする姿ですが、そうではなくて、実際の三蔵法師は経典を担いで帰ったのでも、引きずって帰ったのでもなく、頭にインプットして帰ったのだろう・・・と、思われます。
当時の勉強の仕方は、まず『身につける』だったのでしょうね。今でも『仏法は毛穴からしみ込む』なんて言われるくらいですので、その教えを身にしみ込ませるほどに聴聞し、生活の全てが仏法に基づいてなされていくほどになること。それがつまり仏法を学ぶということなのかもしれません。
ナーランダー大学は当時の学問の最先端でもあったので、仏教だけでなく、医学や薬学、語学、原始仏教のバラモン教などもここで学ばれていたようです。
三蔵法師の記録『大唐西域記』によると、学僧10000人、先生1500人と記されているそうで、学生の寮の部屋の跡、僧院の跡などなど、当時はどんな様子だったのだろうか??と想像がふくらみます。
12世紀に滅びたきっかけはイスラム教の広まり。仏像は破壊され経典は焼き尽くされてしまったそうで、その火6ヶ月も燃え続けるほどだったそうです。
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