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2007年2月

インド旅行記の途中ですが・・・②

☆お講☆

先日(2/24)、平井地区の御門徒の皆様より、お講をつとめていただきました。

本願寺8代目・蓮如上人は、「仏法は聞きっぱなしではなく、聴いた事を話し合うこともまた大事なことである」として各地で『講』を取り結んだ・・・というのが、お講の始まりです。

浄敬寺では、正月(1月)・春・秋の彼岸(3月・9月)、報恩講(5月)・盆参会(7月)お盆(8月)を除いた、2月・4月・6月・11月に地域ごとに順番にお講のお当番をしていただきます。お当番の方々から用意いただいた『おとき』を、それをお当番の方々と、寺族一同でいただきます。その後、勤行と法話、最後にそろって、お茶を飲んで日程終了という流れです。

仏法を『ただ聴聞する』ということは、勿論基本なわけですが、その自分が聴いた仏法を何度も何度もくり返し、確かめていく必要があります。それを、一人で鬱々と考えるよりも、『話し合いなさい』『10人いれば10人10通りの聞き方がある。確かめ合いなさい』と言われたのが蓮如上人でした。

話し合うことで、改めて自分自身の問題として深まってくる。それが、聴いた仏法が、自分の生き方の基盤になっていく過程なのかもしれません。

なかなか、仏法についてゆっくり語り合うという時間がもてないでいる現代。

無宗教だといいながら、自分の都合の悪いときだけ「助けてください、神さま仏さま~」などと言い、風水だ、運気だ、守護霊だ、オーラだ・・・と自分以外に問題をなすり付けることが当たり前になりつつある現代。

古くから受け継がれてきたこの行事、ぜひ守っていきたい、未来に繋げていきたい行事の一つです。

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インド旅日記の途中ですが・・・

_028 インド日記が滞っており、のんびりペースで申し訳ないです。(^-^;)

さて、今日はインド日記の途中ですが、割り込みで近況報告を・・・。

私が先月末から二ヶ月の期限付きで通っている中学校、今週末に学年末テストがあります。というわけで、私、只今テスト作りに追われて夜更かしをしています。

学生時代、テストを受けるのは大変厄介なことで、「定期テストなんて面倒なことを何で年に5回もさせられるのか」とよく思ったものですが、この数日ではっきりしたのは、テストは受けるのも大変だけれども、作る方もまた大変な思いをしていたのだ・・・ということでした。

私が面倒くさがりながら受けて、終わってしまえば、後はプリント類の山へと消えていたあのテストたちは、先生が目の下にクマを作りながら作った努力の結晶だったのだなーと。

立場が変われば面白い発見もあるものですね。

その場、その瞬間では分からないことが沢山あります。大切なことを言われているのに受け止める私側に準備ができていないとサラッと流れてしまう場合があったり、またついその場の勢いで短気を起こして言い過ぎてしまうこと、気付かぬままに人を傷つけていることも、生きている限りあるように思います。

過ぎ去った時間は巻き戻しできませんが、『あーあの時のあの出来事は、こういうことだったんだ』とふいに思えるような瞬間がやってくることがあります。

今が単独で存在しているのではないのだ・・・と気付く瞬間でもあります。人類の歴史、自分の生きてきた歴史を背負って、最先端を歩んでいる私なんだなーと素直に思える瞬間でもあります。

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インド6大聖地巡拝の旅③-1『ナーランダ大学跡』

Photo_1 3日目は渋滞にのまれながら昨晩辿り着いたラージギルを見学。

まずはナーランダ大学跡へ行きました。5世紀から12世紀に栄えた仏教教学センター、総合大学と言ってもいいのでしょうか。

この地は、経典にも出てくる、知恵第一と言われた舎利弗尊者、神通第一の目連尊者(→浄敬寺便りお正月号にも書いたお盆の由来となった人です)の縁の地です。

ちなみに、『神通第一の目連尊者』、お釈迦様のお弟子さん方の中で、神通力において最も秀でていた・・・ということ。神通には6つのジャンルがあり、たとえば「人の心のうちを瞬時に察知する能力」だったり、「世の中の心理を見抜く能力」だったり・・・。人智を超えた智恵ということで、超能力と言われたりもしますが、何となく、現代出回っている『超能力』と混同したくないので、『知恵を超えた知恵』という訳の方を、多くの解説書も、そして私も採用しています。

話を戻しまして・・・

この地は元々、修行僧の集まる場所でもありましたが、5世紀に仏教教学センターとしてこのナーランダー大学が造営されました。

後、造営もされ、最盛期は今の跡地の50倍の広さだったとか。今見えている跡地だけでも相当広かったのですけれど・・・( ̄▽ ̄;)壮大です!

何と、あの西遊記のモデル、三蔵法師もこの地で15年程学ばれているそうです。教典をここで学んで中国に持ち帰ったのですね。

しかし、よく絵や映像で表されているのは、経典を荷車に積んでたり担いでいたりする姿ですが、そうではなくて、実際の三蔵法師は経典を担いで帰ったのでも、引きずって帰ったのでもなく、頭にインプットして帰ったのだろう・・・と、思われます。

当時の勉強の仕方は、まず『身につける』だったのでしょうね。今でも『仏法は毛穴からしみ込む』なんて言われるくらいですので、その教えを身にしみ込ませるほどに聴聞し、生活の全てが仏法に基づいてなされていくほどになること。それがつまり仏法を学ぶということなのかもしれません。

ナーランダー大学は当時の学問の最先端でもあったので、仏教だけでなく、医学や薬学、語学、原始仏教のバラモン教などもここで学ばれていたようです。

Photo_13 三蔵法師の記録『大唐西域記』によると、学僧10000人、先生1500人と記されているそうで、学生の寮の部屋の跡、僧院の跡などなど、当時はどんな様子だったのだろうか??と想像がふくらみます。

12世紀に滅びたきっかけはイスラム教の広まり。仏像は破壊され経典は焼き尽くされてしまったそうで、その火6ヶ月も燃え続けるほどだったそうです。

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インド6大聖地巡拝の旅②‐4『2日目の宿泊地へ』

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2日目は、パトナからマガタ国王舎城のあったラージギルへ移動して宿泊。パトナの中心部からラージギルまでは、バスで約3時間、夕方には到着の予定でしたが、道路が大渋滞。バスがほとんど進まない状態が一時間ほど続きました。

この渋滞の原因というのも、そもそも道路事情の悪いところへ、大型バスや大型トラックの両脇・前後から、どんどん普通車や『オートリキシャ』(インド特有の国産・三輪自動車です。人力車のような自転車で引っ張るタイプのものもよく見かけますが、こちらは『リキシャ』)が突っ込んでくるので、大大大渋滞してしまうのです。道も街と街をつなぐ主要道路は限られているので、おとなしく待つしかありません。でも、イラッとしないのが不思議なところです。

インドで時間通りに動けるということは、まずあり得ない・・・そんな交通事情です。

待っている間は、現地ガイドさん&バスの運転助手さんが、道路の交通整理をしてくださって、日本から同行の添乗員さんが現地のピーナッツやら現地のお菓子を買ってくださって、感謝でした。

写真右のお菓子が、ラージギル名物『カジャ』・・・確かこんな名前。これには食べて行け~という意味があると聞きました。味は、甘くて、さくっとしていて、パイ生地を揚げたような軽い感じのお菓子です。美味です!!

夜9時半近くになって、やっと着いたのは、『インド法華ホテル』。日本にはなくなってしまいましたが、インドではこのラージギルの他にも、ルンビニー、クシナガラなどで旅行者向けに大人気営業中だそうです。日本食をいただくことができます☆

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インド6大聖地巡拝の旅②‐3『デリーからパトナへ』

Dsc02650_ 二日目(1/12)は、午前のデリー市内観光の後、お昼の便でデリーからビハール州のパトナへ空路にて移動。

現在ビハール州の州都であるパトナは、紀元前5世紀頃から栄えたと言われる古い都市で、旧名はパータリープトラ。当時はマガタ国が治めていて、古い記録によると「無数にあるインドの都市の中でも最大の都市」だったのだそうです。

しかし、現在はもっとも近代化に乗り遅れた州であるというのが現地ガイドさんのお話でした。政治家が120%悪い人で、公的な資金を使い込んだとか・・・。

確かに、州都パトナを出てビハール州を回ってみる中で、とにかく格差社会ヒンドゥー教のよからぬ教え、カースト制度を目の当たりにしました。

午後からはまずパトナ博物館を見学しました。

Dsc02660_ Dsc02666_

Dsc02668_ 博物館内は撮影禁止だったので、外観と外にあった古い門の後を・・・。

細かいレリーフのしてあるこの門もかなり古く思えますが、歴史の古いインドでは100年や200年ではまだまだ新しい部類。1000年以上経ったものでやっと古いものの仲間入りをさせてもらえるそうです。

つまり、博物館の中にはまだ入れてもらえないくらいの新しさ・・・ということになるのでしょうか??

この博物館に最も厳重に保管されているものは、お釈迦様が出家後最初に修行をされた場所、そして最後の雨安居(うあんご)をひらかれた場所である、バイシャーリーから出土した仏舎利です。

*安居(あんご)については、また後ほどくわしく書きたいと思いますが、雨季は草花や虫がいのちを芽吹かせる季節。「その時期に説法して歩いて踏みつけてはいけない」ということで、一箇所に集まってお釈迦様のお話を聞き、簡単に言ってしまうと勉強会をしました。それが安居です。

お釈迦様の仏舎利(ぶっしゃり・・・遺骨)は、荼毘(だび・・・火葬)にふせられた後、まず8つに分けられ、お釈迦様の縁の地へそれぞれ持ち帰られたそうです。それから、紀元前3世紀頃、仏教を守護したアショカ王によって掘り起こされ、お釈迦様の教えを大切に思う人たち、また拠り所にして生きていこうという人々のもとへ、いくつにも分けられました。その数8万4千とも言われています。

・・・というガイドさんのお話を聞いて、この数字に聞き覚えがあることに気付きました。『8万4千の法門』と言われるほど、一言で仏教と言ってもそれだけ様々な解釈があるのだ、ということは私もよく聞かされてきました。

この数字、単に多いことを意味した適当な数字ではなくて、インドのお伝えとちゃんと繋がっていたんだなーと思うと、私が聞いてきた仏教の話のモトがここに本当にあるんだなーという、当たり前ではあるのでしょうが、改めて実感が沸き、感動を覚えました。

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インド6大聖地巡拝の旅②‐2『デリー市内観光』

Photo_9  Photo_8

②日目は午後の便でパトナへ飛ぶことになっていたので、午前中は市内観光を。

まずはインド門へ。これは、第一次世界大戦のメモリアル・・・慰霊塔として、1931年に建てられたそう。

当時イギリスの植民地だったインドからは、多くの人が兵士としてかり出され、約9万人の犠牲者を出したと言われています。玄武岩で作られていて、高さは約42メートル。1万人以上の犠牲者の名前が彫られています。

ちょうどパレードの練習中ということで、駱駝に乗った軍隊にも遭遇しました。

インドにはこれだけの軍隊があり、そう言えば核を保持している国でもあったんだ・・・ということを改めて感じた瞬間でもあります。長い植民地時代を強いられたことが、お釈迦様の生まれた国、『殺してはならぬ 殺さしめてはならぬ』という教えの生まれた国の歩みを変えてしまったのではないか・・・と考えさせられました。勿論一言では言い切れない、事情があることも分からなくはないのですが・・・。

Photo_10 続いて、非暴力を訴え続けたマハートマー・ガンディーの暗殺現場へ。

Dsc02634__1 『マハートマー』というのは、現地の言葉・サンスクリット語で『偉大なる魂』という意味で、本名は『モーハンダース・カラムチャド・ガーンディー』です。

ヒンドゥー教、ジャイナ教、レフ・トルストイという人の平和主義が元となっていたガンディーの哲学。

インドで200年にもなる長い植民地政策を敷いたイギリスからの独立運動を進め、その運動は民衆の暴動の形をとらず、徹底して『非暴力・不服従』を提唱したものでした。

暗殺現場となったのは、ニューデリーのビルラー邸。このお宅に宿泊していたところ、狂信的なイスラム原理主義者の銃弾に倒れたそうです

*写真はガンディーが最後に歩いた足取りと、銃弾に倒れた場所です。

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社会復帰!?

『インド仏跡巡拝記』の途中ですが、一つご報告があります。

1月29日から、中学校で社会科の講師をさせていただくことになりました☆

病欠の先生の代理ということなので、期限は2ヶ月ですが、約二年半ぶりに学校現場に社会復帰。今週、緊張しながらも何とか一週間勤めました。

幸いにも、浄敬寺には去年から、 ☆御当院様☆ という頼りになる人がいますし、寺のことは安心して任せられるので(・・・と、必要以上にプレッシャーを与えてみたり・・・笑)

久しぶりの学校現場への不安はありますが、子ども達にケガをさせないように、社会科嫌いにさせないように、そして普段忙しい先生に、病気になってしまった時くらいは、ゆっくり休んでいただけるように、頑張ろうか!!と思っているところです。

しばらく慌しくしているかもしれませんが、土・日を使ってブログも書き込みたいと思いますし、来週の正信偈の会も予定通り行いますので、よろしくお願いします。

*来週のお正信偈の会は、皆さんにインドのお茶、チャイ(ミルクティーのようなものです)を飲んでいただこうと思いますので、お楽しみに・・・

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